葬儀での「お布施」

葬儀において、僧侶は枕経、通夜、葬儀式などの法要を営むことによって法施を施し、遺族はこれに対して感謝して
財施で応えるという関係にあります。僧侶が法要を営むことはビジネスではなく、あくまで法施です。
遺族も葬儀での「お布施」は法要執行への対価として支払うのではなく、あくまで財施として行うのだ、
というのが本来の考え方です。
「お経料」「戒名料」という表現は、対価としての料金という考えによるものですからふさわしくないとされています。
遺族には「お礼」という気持ちが確かにあると思われますが、それを超えた意味があることを理解する必要があり、
上書きはしたがって「お布施」とするのが正しいとされています。

「お布施の金額が不透明」という批判が高まっていますが、お寺と遺族の関係が「信仰抜き」になっていることからきた弊害です。
お布施をめぐって、遺族、寺院の一部において問題があることは残念ながら事実です。

お布施はしたがって遺族の「志」によるものですが、寺院の維持経費もあり、また、他寺の僧侶に応援を頼めば導師となった僧侶は
出座のお礼をしなければなりませんから、それらのことを考慮する必要もあります。ですから遺族は自らの経済的事情を考えつつ、
相応の金額を包むことは必要になります。
わからない場合には率直に寺院に質問したり、経済的事情のあるときには
寺院と相談することを勧めるとよいでしょう。

このお布施に関して、僧侶と遺族の間に葬祭業者が介在することは「布施」の性格から言っても望ましいことではありません。
無用な批判を招く原因にもなります。遺族からの相談まで全て拒絶することはありませんが、
金額を指定するのは行き過ぎですので注意が必要です。

葬祭業者が遺族と僧侶の間に入ってリベートを取るなどといった不明朗なことはあってはならないことです。
もちろん、これは葬儀に限ったことではなく、法事全般に言えることです。
【他の宗教の場合】

他の宗教でも、その考え方は基本的に仏教と同じです。神道においては神職などへのお礼は「御祭祀料」などと記します。
キリスト教の場合には、一般的には教会に対する「献金(記念献金)」と牧師あるいは神父への「謝礼」からなります。
オルガニストなどへの「謝礼」も忘れないようにします。
基本の金額が定まっているケースも多く見られます。しかし、経済的事情が許さないときは素直に相談すれば
心ある宗教者からは理解を得られるでしょうし、また、経済的余裕のあるときは基本金額にこだわらず感謝の気持ちを
相応に表現すべきでしょう。

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