‘サ行’ カテゴリーのアーカイブ

荘厳に用いるもの

祭壇などを荘厳(お飾り)する道具を整理しておきましょう。
本尊は葬具ではありません。本来は僧侶が持参するか、寺から都度借用するか、
あるいは仏壇の本尊を用いました。しかし今では、仏教で葬儀が行われる場合、
本尊を葬祭業者が用意しておくことが多くなっていることも事実です。

①三具足(みつぐそく)
「具足」とは道具の意味です。法要などで仏前を荘厳する基本的な道具です。
香炉を中央に、向かって右に燭台、左に花立て(花瓶、華瓶)を配します。
寺院などでは法要では五具足を正式とします。このときは香炉を中央に、
その両側に燭台を対に、南外側に花立てを対に配します。但し、葬儀は臨時の
祭りという性格から三具足が一般に用いられます。

②四華花(しかばな)
白紙または銀紙に刻み目を入れ、棒に螺旋状に巻き4本一組にして作る造花のことです。
通常は祭壇最上段の両脇に配します。釈尊が亡くなったとき、沙羅双樹林が悲しみ白変し
遺体を覆ったという故事にちなみます。シカバナ、シカと呼ばれ、四花、四華、死花、
紙花とも書きます。

③樒(しきみ)
仏花と言われ、もくれん科の常緑小高木で榊と同じく香花です。かつては墓に供えられ、
葬儀で用いられるようになりました。末期の水で橋の菜が用いられ、供え備えられました。
中部、関西、四国などでは花環の代わりに供花として樒を挿して用います。

④六灯(ろくちょう)
祭壇に置かれる6個の灯のこと。六道にちなみます。かつて夜に葬列のあった時代に
葬列の先頭に立ち、辻々を照らした6個の灯をロクドウと称した名残です。

⑤春日燈籠(かすがとうろう)
昭和40年代までよく用いられました。祭壇上部に四華花の内側に置かれました(中央が位牌輿)。
奈良の春日神社の燈籠を模したものです。

⑥蓮華(れんげ)
明治中期に誕生したと思われ、元は仏堂の金の蓮華を模したものです。蓮の花をデザインした
紙型に金色に彩色したものを金蓮、銀色に彩色したものを銀蓮、その他さまざまな色に彩色して
用いられました。

⑦鈴(りん)、鉦(かね)
仏具の一つ。読経時に用いる音を鳴らすものです。

⑧前机(まえづくえ)
仏前に置かれる机のこと。前卓ともいいます。前机が発達して祭壇になったとも言われます。
枕飾りで用いるのは枕机と言います。

カテゴリー: サ行, 50音順 | Comments Off
葬列で用いた葬具

今ではほとんど見られなくなった葬列ですが、葬具には葬列で使われた
ものも多く、これが変形して現在の葬儀で用いられていることがあります。
その1つが宮型霊柩車です。この屋根の先頭に龍の頭がついているデザインの
ものがありますが、これは葬列で使われた「龍頭」をならったものと思われます。

①松明(タイマツ)
葬列の先頭に立ったのが松明で、サキダイマツ(先松明)と言われます。
葬列は夜に行われたため、照明の役割をしたと言われていますが、単にそれだけ
ではなく、墓火を焚くための大切なものだとの説もあります。
また、火をつけない松明もありますが、これは箒の変形で、葬列の道を清める
役割もあったと推測されています。

②箒(ホウキ)
箒は出棺した後の式場を掃除し、清めるためにも用いますが、葬列にも加わりました。
これは箒の役割が塵やゴミを掃き清めることから、目に見えない悪霊を祓うための
呪具として用いられたものと推測されています。

③四本幡(シホンハタ)
4本の幡(旗)をまとめて並べる場合と、棺の前に2本、後ろに2本と分けて
並べる場合などがあります。幡には梵字(古代インドで使用された文字)を
書いたり、「諸行無常」「是生滅法」「生滅々己」「寂滅為楽」などの
偈文(仏教の教えを簡潔に述べた詩)を書いたりしました。
元は柩の四方を囲んだとも、墓の四方に立てたとも言われます。
墓を結界する(魔物が入ってこないように境界を区切る)と共に死者の滅罪に
効果があると信じられたものです。

④天蓋(テンガイ)
寺院には、僧侶の座る席の上に立派な天蓋がありますが、葬列で用いられたのは
ほとんどは布製や紙製で、わずかに木製もありました。
天蓋は柩の上にかざし、死者の滅罪を願い、極楽往生することを願ったものと言われています。

⑤龍頭(タツガシラ)
竹竿の先に龍の頭をかたどったものをつけたものです。
龍の口の下に天蓋を下げたものや魂を入れる紙袋を下げたようなものもありました。
死者の霊が荒らぶる魂であるこを示したという解釈(五来垂氏)と、死者の霊が
龍のように昇天することを願ったとする解釈(藤井正雄氏)があります。

⑥六道(ロクドウ)
篠竹に小ロウソクを6本立てたものを言います。
中には8本あって2本は葬列に先行してに立てるところもありました。
元は葬列の先頭の案内の灯明だったと思われます。
しかし、死者は生前の行いによって六道のいずれかに行くとされ、たとえいずれに
行っても六地蔵に助けてもらおうという地蔵信仰が六道ロウソクになったと思われます。
今、祭壇の上部両側に6本の灯明(六灯)が飾られるのは六道の名残です。

葬儀での「お布施」

葬儀において、僧侶は枕経、通夜、葬儀式などの法要を営むことによって法施を施し、遺族はこれに対して感謝して
財施で応えるという関係にあります。僧侶が法要を営むことはビジネスではなく、あくまで法施です。
遺族も葬儀での「お布施」は法要執行への対価として支払うのではなく、あくまで財施として行うのだ、
というのが本来の考え方です。
「お経料」「戒名料」という表現は、対価としての料金という考えによるものですからふさわしくないとされています。
遺族には「お礼」という気持ちが確かにあると思われますが、それを超えた意味があることを理解する必要があり、
上書きはしたがって「お布施」とするのが正しいとされています。

「お布施の金額が不透明」という批判が高まっていますが、お寺と遺族の関係が「信仰抜き」になっていることからきた弊害です。
お布施をめぐって、遺族、寺院の一部において問題があることは残念ながら事実です。

お布施はしたがって遺族の「志」によるものですが、寺院の維持経費もあり、また、他寺の僧侶に応援を頼めば導師となった僧侶は
出座のお礼をしなければなりませんから、それらのことを考慮する必要もあります。ですから遺族は自らの経済的事情を考えつつ、
相応の金額を包むことは必要になります。
わからない場合には率直に寺院に質問したり、経済的事情のあるときには
寺院と相談することを勧めるとよいでしょう。

このお布施に関して、僧侶と遺族の間に葬祭業者が介在することは「布施」の性格から言っても望ましいことではありません。
無用な批判を招く原因にもなります。遺族からの相談まで全て拒絶することはありませんが、
金額を指定するのは行き過ぎですので注意が必要です。

葬祭業者が遺族と僧侶の間に入ってリベートを取るなどといった不明朗なことはあってはならないことです。
もちろん、これは葬儀に限ったことではなく、法事全般に言えることです。
【他の宗教の場合】

他の宗教でも、その考え方は基本的に仏教と同じです。神道においては神職などへのお礼は「御祭祀料」などと記します。
キリスト教の場合には、一般的には教会に対する「献金(記念献金)」と牧師あるいは神父への「謝礼」からなります。
オルガニストなどへの「謝礼」も忘れないようにします。
基本の金額が定まっているケースも多く見られます。しかし、経済的事情が許さないときは素直に相談すれば
心ある宗教者からは理解を得られるでしょうし、また、経済的余裕のあるときは基本金額にこだわらず感謝の気持ちを
相応に表現すべきでしょう。

数珠

数珠は、珠を使って念仏を唱える回数を数える事から発生しました。
珠の数は108個が基本となっており、そこから(2分の1の)54個、(4分の1の)27個、(6分の1の)18個と
いったものも作られました。
古代バラモン教に起源を持ち、2?3世紀頃に仏教に取り入れられたと見られています。
「数珠」「誦数」「念珠」とも言います。
宗派によりその形は異なりますが、「八宗用」と言われるものもあり、これは真言宗用が基本になっています。